Daily Information 1980s Archives

Daily Information for people born in the 1980s. *ほぼ Daily。1970-80年世代に向けたアラフォー談義*

【いじめとさかなクン】いじめは戦うものではなく、避けるものだ。さかなクンから学ぶ。

いじめは「大学と同じ環境」にすれば解決する

 

 

社会的ないじめの問題

いじめ。大きな問題です。

NHK で、2022年5月に「君の声が聴きたい」特集として若者の現状と意見が番組横断的に取り上げられています。

www.nhk.or.jp

様々な問題の中で、いじめの問題が取り上げられていました。

 

数十年にわたって、各国で議論されている

いじめ。ただ、これはアラフォー世代が子供の頃から、ずっと議論されている問題のように思います。つまり、少なくとも30年以上。実際にはそれ以上の期間、議論されている話題のようです。ただ、それだけの期間を経てもなお、改善せず、質が変わったのみで形を変えながら継続しているように思います。

これは、日本ならではの問題なのでしょうか。
決してそうは思いません。

最近、フランスでのいじめ対策の法案について、ニュースとなりました。

news.yahoo.co.jp

2017年の映画「ワンダー 君は太陽(字幕版)」では、先天疾患の主人公がいじめを受ける、アメリカの小学校の様子が描かれています。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07J1HYQMY/ref=atv_hm_hom_c_E6DOit_16_22

 

いじめは、ここまで「戦うべき」相手なのでしょうか

決してそうは思いません。
いじめに関しては、さかなクンの発言が真理をついていると思います。

 

「さかなクンの発言」が全ての真理をついている

2006年、朝日新聞 掲載の記事です。

~~でも、さかなの世界と似ていました。
たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
  (朝日新聞2006年12月2日掲載)

(いじめられている君へ)さかなクン「広い海へ出てみよう」:朝日新聞デジタル

 

これが全てを表しているように思います。

  「いじめを無くすための努力」
  「いじめを無くすための道徳教育」
  「いじめを無くすための教育論」

そういったものが延々と続けられていますが、果たして、その目標は達成できるのでしょうか実現可能なゴールなのでしょうか

 

いじめが起こる状況・必要条件

いじめがどうやって起こるか。それはコミュニティが持続的に狭い環境に置かれると起こります。さかなクンの発言通りでも起こりますし、サバンナの動物でも、サルの群れでも、特定の個体を攻撃する現象はおきます。人間でも早ければ幼稚園児でも個人攻撃のようなものが起こります。上記のフランスのニュースの通り、国籍を問わず、いじめは起こります。映画「ホームアローン」では、主人公のケビンは親戚の子供たちからいじめられていました

つまり、狭い環境に固定されることが、いじめが起こる必要条件だと考えられます。

ライフステージの間に、いじめが起こり、消え、再び再燃する

我々の生活でも同様の状況が起こります。
小学・中学・高校では、いじめが起こるものの、大学ではいじめの多くが消えます。これは、コミュニティが固定されず、環境が選択され流動的になるからだと実感します。
ただそれが、就職して狭いコミュニティになると再び個人攻撃・いじめが復活します。大人になれば「正論で相手を攻撃する」ことに変わるだけで、実際には個人攻撃に変わりありません。

どうすれば良いか

「いじめを無くす努力」ではなく、「いじめが起きる環境を排除する」ことが答えだと思います。
具体的には、固定教室ではなく、単位制・科目性への移行。
小学生は難しくとも、中学~高校なら可能と思います。
公立校は難しくとも、私立校なら可能と思います。
このデメリットは、コミュニティへの帰属意識が得られず孤独を感じる場合がありえること、社交性が低い学生が友人を作りにくい可能性があり得ることです。ただ、これらは学内イベントや企画などでいくらでもカバーできるものだと思います。
「いじめを無くすこと」よりも「友人を作るイベントや仕掛けを作ること」の方がはるかに簡単ではないでしょうか。

 

今は誰がひずみを受け止めているか

現在、いじめを受けた場合の最終的な方向性として、
 「学校なんて行かなくて良いじゃないか」
 「転校すれば解決する」
そういった選択肢があげられています。ただ、なぜ いじめを受けた者が生活を変えるような重大な決定をせねばならないのでしょうか。なぜ いじめを受けた者が社会のひずみを受け止めて重大なライフプランの変更をしなければならないのでしょうか。

 

「最もいじめが起こりにくい大学生を模倣する」

いじめは、戦うものではなく、避けるもの。逃げるもの。
狭い環境を無くし自由にする

 

小学生・中学生・高校生・大学生・社会人。
この中で最もいじめが起こりにくいのが大学生。
この大学生のような環境を模倣し他の環境でも適用することが、「いじめを無くす」最良の方法と考えます。

現時点でも、通信制や夜間校で、システム上、成立しているわけです。
N高・S高が話題となりましたが、これで成立しているわけです。
これらのメリットを取り入れず、現状維持を続ける限り、大人の怠慢と言われても仕方がありません。

「大人による いじめポルノ」で満足するな

討論して満足する、悩んでる自分に自己満足する、問題があることを認識して問題の大きさを認識する、子供にいじめを無くす方法を議論させる。それらはただの「大人による いじめポルノ」で、大人の自己満足・怠慢です。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「大人になる過程で皆が経験する通過儀礼」で済ませるのは、ただの思考停止の馬鹿な大人です

 

PDCA サイクルなどの問題解決のフレームワークを大人は持っています

 

根本的な解決策を見出す。それが大人の役割です。