あなたは「スポクロ」を知っていますか ?
- 我が街にユニクロがやってきた!
- あれは... ユニクロ...じゃない ... スポクロ?
- ファーストリテイリングのサイトに、詳細が書いてあった !
- ファーストリテイリングの4半期決算短信
- スポクロ終了後、ユニクロ繁栄の時代へ
我が街にユニクロがやってきた!
1990年代、私が小学生の時、街に新たな衣料品の店舗が出店されました。名前は「ユニクロ」。そう、今となっては誰もが知る世界的衣料品製造小売り会社。
小学生当時、多数ある衣料品店の一つでした。同時期、マックハウスなどの店舗も含めて多数の衣料品店が群雄割拠で全国展開しはじめていました。
当時は、その中の一つ。まだインターネットも普及しておらず、新聞の折り込み広告が唯一の情報源だった時代。毎週末のセール情報があり、「T シャツ ¥998 !!, セーター ¥1,998 !! 」などの記載がありました。小学生の私も、安い、これなら欲しい、と思いました。
小学生の私は、週末、親と一緒にユニクロへ。現在の無地を基調としたラインナップと違い、当時は、ハワイアン柄や抽象柄のデザインものなどの派手なラインナップがありました。迷彩柄のシャツ・トレーナーもあったように思います。
小学生の頃はそのような柄で好きなものを選んでいました。ただ、中学生・高校生になると、「ユニクロって着てるのばれると恥ずかしいよね。でも無地物は着やすいし、いいよね」といった感覚が共有されており、タートルネックセーターなどは多用しておりました。
そんな時期に、出てきていたのが、スポクロです。
あれは... ユニクロ...じゃない ... スポクロ?
あれは私が中学生頃でしょうか。新聞の折り込み広告で、「スポクロ」という文字が入るようになりました。近隣のユニクロでも、倉庫風の店舗の看板が、「スポクロ」になりました。
「スポーツウエア専門」の「スポクロ」。スポーツ衣料に特化するようになったのです。ただ、これは、自分の目から見ても失敗でした。ゴルフ用品店のような状況になり、家族層は一気に離れました。我が家も、1回だけ見に行ったものの、買わずに帰り、二度と行くことはありませんでした。
短期間のみ、スポクロだった店舗は、いつの間にか「ユニクロ」に戻っていました。
ファーストリテイリングのサイトに、詳細が書いてあった !
ユニクロを展開するファーストリテイリングのホームページです。こちらのホームページは、会社情報・IR 情報など、投資家目線で有用なサイトです。
* このファーストリテイリングのサイト、驚異的に軽いです。
この軽さは、阿部寛さんのホームページを彷彿とさせます。もちろん、阿部寛さん側には敵いませんが。
ファーストリテイリングの4半期決算短信
ファーストリテイリングのサイト内検索、「スポクロ」で出てきました。
1998年の四半期決算短信・添付資料です。
https://www.fastretailing.com/jp/ir/library/pdf/1998-08tanshin_tenpu.pdf#page=0001
この中の文章は、当時の社会情勢や空気感を知ることができる、刺激的な文章が並びます。
「相次ぐ金融機関の破綻に始まった金融危機の進展」「東南アジア経済の悪化」など、記憶がよみがえります。
この中に、スポクロの記載がありました。
「また、中長期にわたって永続的な成長を実現するため、新業態の実地検討をいたしました。当期におきましては、レディース・キッズを主体とした「ファミクロ」、スポーツウェア等を中心とした「スポクロ」の新業態を展開いたしました。しかし、今回は従来の「ユニクロ」との差別化が不鮮明であったことなどにより期待の成果が実現できず、当期末までに全て「ユニクロ」への転換または退店いたしました。
しっかりと、経緯がかいてありました。
まさに、その通りです。当時中学生の自分ですら、思いました。「スポクロ? いらんわ、ユニクロでお腹いっぱいやし。元々のユニクロでタートルネックセーター買わせてや」(* 当時の心境をやや誇張して記載)
結果、我が街のスポクロは全て「ユニクロ」に戻っていました。
スポクロ終了後、ユニクロ繁栄の時代へ
スポクロは、1997-1998年のようです。私は、ユニクロがスポクロに手を出し撤退したという事実を生で体験した、生き証人になることができました。
その後は、ユニクロは繁栄の時代へ突入しました。また、同時期に差別化に成功した無印良品は独自進化を遂げ、同様の発展を遂げました。無印良品は、「スポクロ的なブレ」は呈することなく、現在に至っているように思います。
ユニクロ帝国が築かれるまでの過程に生まれたスポクロ。
今は忘れ去られた、ビジネスのチャレンジが生んだパラレルワールド。
ただこれは、決して黒歴史ではありません。
チャレンジをし続けることで派生してできた業態。そしてそのチャレンジを1997-1998年までで速やかに損切りしたフットワークの軽い経営・意思決定体制。
これが、ユニクロの強さと考えます。
生き証人になれて、良かった。
*ユニクロフリースより軽い、阿部寛さんのホームページ、一見の価値あり!!